愛情をこめて「ウェジー」あるいは「NFC」とも呼ばれるノルウェージャンフォレストキャットはいつも楽しげで落ち着きがある。犬や子供と一緒でも、新しい体験でも、新しい環境でも、たいていの状況に静かに、そして機嫌良く順応できるので、家族の一員として溶け込みやすい。
愛情深く社交的で、なるで犬のように玄関で人を出迎える光景もよく見られる。そして好奇心が旺盛で、運動能力も非常に高く、高いところに登るのも大得意だ。
しかし身体ができあがるのは5歳頃と、成長はゆっくりだ。体重は成猫の雄で5.5~7㎏、雌で4~5㎏。被毛は美しく、毛が長いわりに手入れはさほど大変ではない。ただし、春には冬毛から夏毛へ、秋には夏毛から冬毛へ変わるので、ごっそり毛が抜け落ちる。この時期はにはグルーミングをして、抜けた毛を取り除いてやるとよい。いったん新しい毛が生えそろえば、あまり手入れは必要としない。
「スコグカット(森林の猫)」とも呼ばれるNFCは古くからノルウェーにいる猫で、長い年月をかけて、豊かな被毛やがっしりした身体などの特徴を備えるようになった。いつ頃からいるのか、その起源は明確ではないが、8世紀~11世紀後半にかけてスカンジナビア半島に住んでいた北方ゲルマン族(バイキング)とは密接な関係があり、北欧神話にもよく登場する。
スコグカットは、ローマ軍がヨーロッパ北部に進行する際、食料をネズミから守るために連れてきたショートヘアのイエネコ、北欧の厳しい寒さにさらされるうちにロングヘアへと進化したものと考えられている。
事実、ノルウェーの森に住むスコグカットは極寒の地で生きるために、厳しい寒さにも耐えうる撥水効果の高い分厚い被毛を持っている。特に雪や氷から足先を守ってくれるフサフサの毛は、ノルウェーの冬を乗り切るうえで大いに役立つ。そして、厳しい環境にも生き残る能力を身につけた結果、スコグカットはとても丈夫で健康的な猫になった。
スコグカットであろうと思われる大型の猫がたびたび登場する北欧神話が誕生した年代は不明だが、初めて文字になったのは、アイスランドのスノッリ・ストゥルルソン(1179~1241年)が著した「Prose Edda」においてである。愛と豊穣の女神フレイヤが2匹の猫に馬車を引かせたという話や、雷神トールですら持ち上げることができなかった巨大なグレーの猫の話などがよく知られる。
スコグカットはバイキングとも関係が深い。バイキングには結婚式当日、花嫁に猫を送るという風習があった。これは、おそらく愛の女神フレイヤと関わりがあるからだろう。もっとも現実的な話をするならば、猫は食料や住宅をネズミの害から守ってくれるから、という理由もあったに違いない。実際にバイキングはスコグカットかと思われる猫を飼っていたし、戦いに出るときも連れていったという。
文学でもベーター・クローソン・フリース(1545~1614年)によって書かれたものがある。フリースはデンマーク人の聖職者で、生涯の大半をノルウェーで過ごした。ストゥルルソンの「Prose Edda」をデンマーク語に翻訳したのもフリースだ。それとは別にオオカミタイプ、キツネタイプ、猫タイプの3種類のオオヤマネコについて彼は書いているのだが、そのうちの猫タイプがスコグカットだと考えられているのだ。
それから数世紀ののち、明らかにスコグカットだと思われる猫が登場する童話が生れた。ペーター・クリステン・アスビョルンセンとヨーレンモーによる妖精物語である。登場するのは「フルドレカット(妖精の猫)」と呼ばれる猫で、森に住んでいて、長くてふさふさの尾を持つ。それはまさしく現代のスゴクカットと言える。
20世紀に入ると、NFCを種として認定させようと動きがでてくる。ノルウェージャンフォレストキャットの愛好家たちが集まり、初めてクラブを設立したのが1934年、オロスで初めてキャットショーにNFCを出陳したのが1938年のことだ。
だが、種を確立しようという努力は第二次世界大戦に阻まれ、ノルウェーでの個体数は終戦間際には著しく減少してしてしまう。ノルウェー生まれの素晴らしい猫を認知してもらおうという動きは、1970年代に入ってようやく再開され、1972年に「ノルスクスコグカット」という公式名称を与えられてプレリミナリー・ニュー・ブリードに認定されたのだが、実際のところ純血と呼べる猫は皆無に近かった。
しかし1973年、ノルウェージャンフォレストキャット協会のエデル・ルナスとヘレン&カール・フレデリック・ノルダン夫妻が純血のNFCを2匹ーーーピバ・スコグプス(ルナスの飼い猫)とパンストルルスーーー手に入れることにより、転機が訪れる。このペアから生れた2匹、ピウィスク・フォレスト・トロルと、ピウィスク・フォレスト・ニッセが新しいラインの礎となったのだ。熱心なブリーダーたちのサポートもあり、1975年にはノルウェージャンフォレストキャット・クラブが設立された。
だが、FIFeの認定を受けるまでには、純血種が3世代続いているという条件を満たさなければならない。1977年当時、150匹のNFCがノルウェーで登録されていた。そこでFIFeはオロスで開催されるキャット・ショーに審査員を派遣し、この「新種」について調査を行った。それから数ヶ月後、今度はカール・フレデリック・ノルダンがFIFeの決定を聞くため、パンス・トルルスをはじめ、何匹かのNFCの写真を携えてパリを訪れた。
そうしてパンス・トルルスの写真を見た審査員たちは、この猫にチャンピオンシップ・ステータスを与え、今後はパンス・トルルスをスタンダードとすることに決めたのだった。これはノルウェーにとっても名誉な瞬間だった。
NFCはあっという間に愛猫家たちを虜にした。アメリカには、1979年に初めて1組のペアが、翌1980年に3匹目が輸入された。その後も輸入が続き、1980年代にはアメリカの主だった猫種登録団体の認定を受けることとなった。さらに1986年にイギリスに渡ったNFCは1990年にはGCCFの認定を受け、1997年にチャンピオンシップ・ステータスに昇格した。その後、数多くのNFCがイギリスをはじめとするヨーロッパ各国、オーストラリア、日本へと渡っている。